生まれて初めて島根県に降り立ったときのことです。そこでであった地元の方が、それはもうビックリするほどに親切で、島根県内を車でグルグル案内してくれたんです。さらに出向く先々で出会ったたくさんの人たちもまた、ビックリするほどに親切。考え方もすごく柔軟で、都会の人ではないけれど、田舎の人でもなくって、なんていうのかな、やっぱ神話の国の人たちといったほうがピッタリといった雰囲気でした。
今回紹介する神魂神社のことを知ったのも、初めて私が島根県を訪れたときでした。地元の人に旅の目的は出雲大社参拝だということを告げると、誰もが「大社へ行くなら絶対に神魂神社へ行きなさい。大社だけだったら片手落ちになるから」と力説してきたんです。さすがにそこまで言われてしまうと、やはり無視することはできません。それに神社の名前に妙に惹かれてしまい、連れていってもらったのを憶えています。
以来、もう10年以上経つのですが、出雲大社へ参拝するときは神魂神社も出来るだけ参拝しています。
出来るだけというのは、神魂神社が出雲市内ではなく、松江市にあるからです。松江駅から車で20分くらいの場所。出雲のついでにブラリと立ち寄るという雰囲気ではありません。それなりに時間にも余裕を持っていなくては参拝できないからです。
神社周辺はいたって感じのフツーの場所なのですが、神社に近づくにつれて徐々に空気が変わってきます。なんだかきっついというか、厳しい気がヒシヒシとやってくるんです。大らかな出雲大社とはまったく違います。鳥居をくぐると、それはさらに強烈になり、石段をのぼりきると世界がガラリと変わります。それに変わるのは空気だけではありません。なにか強い結界が張り巡らされている感じがしてなりません。私たちには見えない何かをこの神社は必死に守っている、そんな感じさえします。とにかくこの独特な雰囲気に感動しないわけがない! 多分、実際に行かないとわかりません。怖いほどに「貫禄」だとか「威圧感」という言葉が似合います。軽々しい気持ちで参拝できない、作法をキチンと守らないといけないキブンになってしまうんです。
じつは神魂神社の本殿は国宝なんです。大社造りとしては最古の建築物。最古だといわれなくとも、歴史があることは苔に覆われた屋根などをみれば一目瞭然なのですが、それ以上に周囲の木々の1本にも無駄のない美しさに神社としての原型を感じます。
また神社に家紋は「有」という字が使われていて印象的なのですが、これは10月の神在月[神有月]カミアリヅキ(出雲では神在月といわれ、他では神無月)の「在」→「有」の意味だそうです。でもご祭神が伊弉冊大神、伊弉諾大神です。伊弉冊大神は死後熊野有馬村に葬られたとされています。そして神社の名前、独特の雰囲気を考えると、なんらかの関係があるのかなと考えてしまったり。そーすると夜も眠れなくなるのですが、ああ身近に神話好きな人、古代のロマンを語り合えず色男とかいないかしらって思うのは、単なる卑しい人妻のロマン。
そうそう、境内の奥に小さなお社があり、そこには古い御釜を祭っているんです。これは神話によると国造家の祖天穂日命が、大国主命に国譲りを勧めるために高天原から御釜に乗って、この地に降り立ったという伝説の釜なんだそうです。となれば宇宙人好きの私は自ずと釜はUFOではないだろうかと考えてしまって。そーすると夜も眠れなくなるのですが、ああ身近にUFO好きな人、宇宙のロマンを語り合えず色男とかいないかしらって思うのは、単なる卑しい人妻のロマン。